私たちは、今後予測される地震地域を中心とした地震災害等の緊急避難指定場所(区域、施設、地域など)に対し、災害用井戸の掘削、設備の普及活動に関する事業を行うNPO特定非営利活動法人です

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兵庫県南部地震

兵庫県南部地震
  • 兵庫県南部地震(ひょうごけんなんぶじしん)は、平成7年(1995年)1月17日5時46分(日本時間=UTC+9)に発生した地震である。阪神・淡路大震災を引き起こし、兵庫県南部を中心に大きな被害と発生当時戦後最多となる死者を出した。
    大都市直下を震源とする日本で初めての大地震で、気象庁震度階級に震度7が導入されてから初めて(1996年9月30日まで運用されていた旧震度階級では最初で最後の)震度7を記録した地震である。
    気象庁は平成7年(1995年)兵庫県南部地震と命名した。
  • 本震
    発生時刻:平成7年(1995年)1月17日 5時46分52秒(JST)
    震央地名:淡路島 / 兵庫県津名郡北淡町(現・淡路市)の北緯34度35.9分、東経135度2.1分
    震源の深さ:16km
    地震の規模:マグニチュード7.3(気象庁マグニチュードMj。当初は気象庁マグニチュードMjで7.2だったが、平成13年(2001年)4月23日の気象庁マグニチュードの改訂により7.3に修正された。モーメントマグニチュードは6.9)
  • 地震動
    神戸海洋気象台の観測記録の分析(実測データではない)によると最大加速度848ガル、最大速度105カイン、最大変位27cmである(実測値:南北動818ガル、東西動617ガル、上下動に332ガル)。
    六甲アイランドにある竹中工務店の地震計は横揺れ319ガルに対し縦ゆれは507ガル、神戸市東難区の神戸大学地下の観測では縦ゆれ367ガル、横揺れ300ガルだった。
    各地の主な加速度(ガル) 
    葺合833、西宮792、本山775、鷹取616、宝塚601、新神戸561、西明石481、神戸大447、尼崎328
    地震発生当初は、神戸・明石・洲本の震度6が最大震度とされていた。当時の震度が震度6までは各地の震度計の測定情報を基にした速報体制が敷かれていたものの震度7については倒壊家屋の割合が3割を超えることが基準であったため、後の現地調査によって判定されていたことによる。そのため、気象庁が正式に震度7と判定された地域を発表したのは地震から半月以上経った2月7日である。昭和23年(1948年)の福井地震を契機として昭和24年(1949年)に震度7が創設されて8段階になった震度で初めて震度7を観測、後述する翌年10月からの新震度移行により「烈震」や「激震」などの別名が廃止されたため日本の地震史上最初で最後の「激震」と呼ばれる地震となった。
    震度5や震度6では同じ震度でも被害の程度に大きな差があることが指摘され、地震発生や震度などのより早い情報提供を求める声も高まっていた。この反省を踏まえて平成7年(1995年)3月1日には気象庁が発表する地震情報を改編し、地震速報(震度3以上の地域名)・津波予報(津波の到達地域と高さ)・津波情報(津波到達予想時刻、観測時刻、観測波高)・地震情報(震源位置・規模・震度3以上の地域名)・各地の震度に関する情報(震源位置、規模、震度1以上の観測点)の5段階の体制となった。平成8年(1996年)10月1日から震度5と震度6をそれぞれ「弱」と「強」に分けられ震度7についても震度計を使った10段階による測定に移行、「烈震」や「激震」などと言った別名を廃止した。
    大阪での震度が4で、大阪よりも震源から遠い京都が5となっている。気象庁が大阪に設置した震度計はひとつだけで上町台地の固い地盤に設置されていたため震度4となっているが日本道路公団が阪神高速11号池田線の建設現場に設置した震度計が震度7、北大阪急行電鉄が桃山台駅に設置した震度計が震度6を観測している。
  • 余震
    余震の推移を見ると震度0の無感以上の地震が本震以後の平成7年(1995年)で2360回、平成8年(1996年)と平成9年(1997年)がともに100回台と次第に回数が減少し、規模も小さくなっている。最大余震は本震と同日の7時34分に起こったM5.4の地震で、奈良で震度4の中震を観測した。
  • メカニズムと構造
    余震の分布などから、兵庫県南部地震を起こした断層は「六甲-淡路断層帯」と呼ばれる断層帯であることが分かった。六甲-淡路断層帯の内この地震で動いたのは淡路島北側の江井崎から伊丹市中心部付近まで南西から北東に伸びる約50km、深さ約5〜18kmの断層面であった。この断層面の南西の端から始まった断層のずれは、数秒の間に断層全体に広がって大きな揺れを引き起こしたと推定されている。
    断層面の真上に当たる帯状の地域を概観すると淡路島北部では地下の六甲-淡路断層帯のずれが地上にまで明瞭に現れ、野島断層のずれが地表にあらわれた。一方、本州の神戸市南部では地面の亀裂が見られた程度で明瞭な断層面は地表には現れなかったものの地下には断層が伸びており「震災の帯」と呼ばれる細長い帯状の地域に被害が集中し、その地域の揺れが特に大きかったことを示している。被害の集中した地域は断層の真上ではなく地盤内の地震波の伝播のため、縄文海進より海岸側の沖積平野に集中している。
  • 被害
    兵庫県南部を中心に大きな被害を出した。死者は発生当時戦後最多となる6,434人、行方不明者は3人、負傷者は43,792人に上り、689,776棟の建物が被害を受け、被害総額は約10兆円に達した。日本災害史上、2011年3月11日の東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)に次ぐ被害である。
  • 名称
    気象庁は、この地震を「平成7年(1995年)兵庫県南部地震」と命名した[5]。マスメディアなどでの通称は阪神大震災、もしくは神戸大震災とも呼ばれた。英語の正式名称は「1995 South Hyogo Prefecture Earthquake」あるいは「The South Hyogo prefecture Earthquake in 1995」であり、一般的には「Kobe earthquake」「Hanshin earthquake」などと呼ばれる。
    気象庁は地震が発生したその日のうちに会見を行い、この地震を「平成7年(1995年)兵庫県南部地震」と命名した。
    気象庁による正式命名に先立って毎日新聞が「阪神大震災」と呼び始め、他の報道機関のなかにもこれに追随する動きがではじめた一方、朝日新聞や日刊スポーツでは「関西大震災」と呼称していたこともある。このため、様々な名称が入り乱れていた。
    政府は今回の災害の規模が大きい事に加えて今後の復旧に統一的な名称が必要であるという観点から淡路島地区の被害も大きかったことも考慮し、災害名を「阪神・淡路大震災」と呼称する事が2月14日の閣議によって口頭了解された。2月24日には、5年間の時限立法として「阪神・淡路大震災復興の基本方針及び組織に関する法律(平成7年法律第12号)」が制定(即日施行)された。この時から「阪神・淡路大震災」と呼ばれるようになり、現在でもこの名称が使用されている。
  • 前兆現象
    猪名川群発地震
    平成6年(1994年)11月9日以降、有感の微震が断続的に発生した。
    前兆であった可能性が高いとされる。
  • 前震
    本震前日の1月16日の18時28分、明石海峡付近を震源とするM3.3の地震が発生し神戸で震度1の微震を観測したのを始まりに16日中に計4回の小さな地震が観測された。これは大方のところ、翌日の大地震の前震だったと見られている。しかし当時も含め現在、前震から大地震の発生を予測するのは困難であるとされる。
    これは無数にある地震のパターンからどのようなものが前震であるかいまだに見つけられていないことや、前震を捕らえるためには特定の地域を精密に長期的に観測し続けることが必要なことなどが理由として挙げられる。ただ前震と本震との関連性やパターンが明らかになれば大地震の予知につながるものだとされ、研究が行われている。
  • 宏観異常現象
    地震の数日前から直前に至るまでの間に、関西地方を中心として様々な異常現象が見られたという一部の人からの報告がある。いわゆる、「地震雲」をはじめに謎の夜間発光現象の目撃情報、ミミズや昆虫の異常大量発生、動物の異常な行動、携帯電話などの電波を用いる機器の異常、太陽・月の光などの異常などである。
    これらは、宏観異常現象として将来の地震予知に役立つのではないかと考えられている。それらの証言・情報を収集し研究する研究者もいるものの検証不足などが指摘されており、疑似科学程度に過ぎないとされているものが多い。しかしながら地震の1ヶ月ほど前から記録が残っている地下水のラドン濃度の異常など、ある程度の有意性が認められているものもある。